北方領土問題の経緯


日本とロシアの間で、最初に領土の確認がされたのは1855年の日露和親条約である。これにより千島列島における国境が、択捉(エトロフ)島とウルップ島の中間の海峡と定められた。この時、東部では、エトロフ、クナシリ(国後)、シコタン(色丹)、ハボマイ(歯舞)の4島が、日本の領土として確認された。しかし、この段階では樺太がどちらに属するかに関しては未解決のまま持ち越されることになった。樺太の問題は、1875年に、シュムシュ島以南の千島列島全島を日本領とする代わりに、樺太全島をロシア領とする、樺太・千島列島交換条約の締結により解決し、これでロシアとの国境はひとまず一件落着になった。1905年に日露戦争に勝利した日本は、北緯50度以南の樺太の割譲を受けますが、この時点では日本は南樺太と千島列島という広大な領土を持つことになりました。しかし、日本が第二次世界大戦敗戦を認めるポツダム宣言を受託した直後、とんでもない事件が起こった。終戦翌日の1945年8月16日にソ連が南樺太と千島列島に攻撃を仕掛け、9月5日までには千島列島全島を占領した後、一方的にこれを自国の領土としてしまった。  実はこれには裏があった。このことは連合国側はすでに了承済みの話であった。第二次世界大戦末期、連合国側の指導者が集まって戦後の世界について話し合った際(ヤルタ会談)、ドイツを破った勢いで日本も叩いてしまおうということで、当時日本に対して中立を守っていたソ連に参戦を要求したのだ。その際のおみやげが南樺太と千島列島だった。


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サイト更新日
2012-04-13